- ホーム
- 【村上隆vsスーツ】ビッグアーティストが「話したい」...なぜ?緊急対談!【ReHacQ高橋vs箕輪厚介】
- 2025/10/28 00:21:39
【村上隆vsスーツ】ビッグアーティストが「話したい」...なぜ?緊急対談!【ReHacQ高橋vs箕輪厚介】
ひろゆき、成田悠輔、後藤達也…、新たな視点で経済・社会を見つめ直すビジネス動画メディア「ReHacQ」!
現代美術の最前線で活躍する村上隆さん、YouTuberのスーツさん、そして幻冬舎編集者の箕輪厚介さんの3人をお迎えして、生配信でじっくりお話を伺います。
出演者:村上隆
スーツ(交通・旅系 YouTuber)
箕輪厚介(幻冬舎 編集者)
高橋弘樹
▼関連動画▼
【高橋弘樹vsスーツ】人生ってなんだろう?まったり雑談【ReHacQ生配信】
https://youtube.com/live/C4Mo2hRnUac
●ReHacQアプリ 登録お願いします!
<無料会員登録>
・iOS版URL
https://apps.apple.com/jp/app/rehacq/id6738078112
・Android版URL
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.tonari.rehacq
・WEB版URL
https://rehacq.com/home
<有料会員登録はこちらから↓>
https://rehacq.com/settings/plan-list
●Xでは今後のラインナップなどお知らせします!
https://twitter.com/ReHacQ
●番組タイアップ等のお問い合わせはこちら
https://to-na-ri.jp/
#村上隆 #人生 #哲学 #悟り #現代美術 #ReHacQ #リハック #ひろゆき #成田悠輔 #後藤達也
現代美術の最前線で活躍する村上隆さん、YouTuberのスーツさん、そして幻冬舎編集者の箕輪厚介さんの3人をお迎えして、生配信でじっくりお話を伺います。
出演者:村上隆
スーツ(交通・旅系 YouTuber)
箕輪厚介(幻冬舎 編集者)
高橋弘樹
▼関連動画▼
【高橋弘樹vsスーツ】人生ってなんだろう?まったり雑談【ReHacQ生配信】
https://youtube.com/live/C4Mo2hRnUac
●ReHacQアプリ 登録お願いします!
<無料会員登録>
・iOS版URL
https://apps.apple.com/jp/app/rehacq/id6738078112
・Android版URL
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.tonari.rehacq
・WEB版URL
https://rehacq.com/home
<有料会員登録はこちらから↓>
https://rehacq.com/settings/plan-list
●Xでは今後のラインナップなどお知らせします!
https://twitter.com/ReHacQ
●番組タイアップ等のお問い合わせはこちら
https://to-na-ri.jp/
#村上隆 #人生 #哲学 #悟り #現代美術 #ReHacQ #リハック #ひろゆき #成田悠輔 #後藤達也
上位コメント ( 集計コメント数 : 215件 )
-
スーツ( 71件 )
- ・スーツさんが回復の途中で良かった 誰にでも複数の自分は脳に存在すると思います
- ・スーツさんはadhdとゆうより、 知的レベルが高い自閉症と思います。 心配いらないと思いますよ。
- ・え、スーツさんがお酒飲んでる…???
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
- ・コメ欄の下の方にスーツと同じ状態奴結構いるの笑う😂
- ・スーツさん、悟ったら、顔にホクロできたのかな?
- ・スーツ氏の言いたいことを理解したい人はエックハルト・トールやラマナ・マハルシで検索するのがオススメ
- ・マーク・トウェインの「人間とは何か」に書かれていることがスーツさんの話に重なる。生きていたら、意気投合してただろうなあ。
- ・スーツさんの最後のコメント、金剛薩埵じゃん。来たねー。
- ・ますますスーツの状況が分からん
- ・ステハゲのコメ欄にナッシュの食いすぎでスーツが狂ったって本気で心配してるコメあって不謹慎だけど爆笑しちゃったw今回はだいぶ戻っててよかったわ
- ・スーツさん、前回と顔も言動も全く違う。とにかく症状が改善に向かってそうでよかった。
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
- ・スーツ君が元気そうで何より!村上隆さんと繋がるなんて人生ってわかんないね〜
- ・スーツ着ているだけで本質は何も変わっていない。改善も何も、前回から彼は正常です。
- ・スーツさん 中島らもに似てる
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・とにかくスーツ高橋以外がうるさいなぁ
- ・スーツさんお風呂入ってるっぽいし表情も変わったしちゃんとスーツ着てるしなんか安心した
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
- ・願うのは、共感できない次元にスーツさんが行ってしまわないことです。もう回復していて変な奴を演じてるのかは分からないけど、スーツさん過去動画でキャラを演じることをあまりよく思ってない発言してたからな、、エンタメの世界なら過去の発言も捨てるのかな
- ・スーツのメンタルケアをする場かと思いきや箕輪のメンタルケアになってて面白い。
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
- ・村上さんとスーツさんの二人の深い対談が聞きたかったです。
- ・スーツは神。 手のひらクルクルで草 精神病の深淵見たり枯れ尾花
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・スーツさんのネクタイ
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・スーツは薬が良く効いているんだよ。
- ・以前のスーツは神秘のアーチの向こう側へいってしまった、シリウスのように
- ・スーツがインフルエンザ脳症から、糖質になったとかXで騒がれてたけど、だいじょうぶそうか
- ・序盤スーツさんおもろすぎw
- ・似た様な状況になった自分の経験談から言うと、たぶん来年にはスーツさんは落ち着いてると思う。3年はもたない(落ち着く)だろうと予言しておく。
- ・各界の一流のおじさんたち3人が全力でスーツさんを守り支え、スーツさんと周りの方々のこれからの人生が続くよう全力で頑張った回だったと思います。愛にあふれた対話だったと理解しました。
- ・スーツさんスーツ着てる😂かわいいスーツさん😂
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・スーツさんが準レギュラーになってますね。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・めちゃめちゃ面白かった! 色々な本質論を感じたわ。 あと、目覚めたてのスーツさんが覚醒済みの本物に圧倒されてるのも可愛かった(笑)
- ・スーツさんには、自分の話を聞いてくれる「先輩達」が必要なんじゃないかな。
- ・「スーツさんと話してみたい(村上)」 って言ってる動画が昨日上がったばかりで、こんなすぐ実現するとは... さすがリハック
- ・おそらくスーツさんはもう回復してる、演じてる
- ・いや一人でスーツ教の教祖になってほしいわ 既存のシステムに取り込まれてよくある感じになってもつまらない
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
- ・スーツさん、寝転んで登場してほしいかも…
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
- ・寝転んで話すスーツさんとか最高かよw
- ・スーツは声が上品なんだよな〜
- ・これ面白いって言ってるやつ正直グロすぎ、スーツの状態知っててこれ なんか色々語ってる割に一般的な倫理観すらねえんだなって思ったわ
- ・村上さんがたくさん話されるのを初めて見たのですが、すごくすごく良い方だとわかりました。それに色々な新しいものも摂取されていてすごいですね!スーツさんもあいかわらず頭脳明晰で素敵でしたし、箕輪さんは紙ちぎりを見て案外良い方なのかなぁと☺
- ・スーツさんが元気になってそうな事が一番です
- ・スーツ元気になった?
- ・スーツさん!!!三島由紀夫の鏡子の家を読んでください!!! 三島がすべてを教えてくれます!!!
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・スーツさん
- ・スーツ
- ・俺はまだスーツが悟り説
- ・スーツ氏
- ・スーツさんの話
- ・スーツさんの最後のコメント
- ・スーツの状況
- ・スーツみたい
- ・スーツ君
- ・スーツさん 中島ら
- ・スーツ高橋以外
- ・スーツの足下
- ・スーツさん過去動画
- ・スーツのメンタルケア
- ・村上さんとスーツさんの二人の深い対談
- ・スーツさんのネクタイ
- ・以前のスーツ
- ・序盤スーツさん
- ・スーツさんと周りの方々のこれからの人生
- ・病気療養中のスーツさん
- ・あとスーツさんの現時点での6万字
- ・今回のスーツの言動
- ・スーツ教の教祖
- ・今のスーツさんの状態
- ・スーツの状態
- ・スーツ元気
-
悟り( 22件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
- ・コメ欄で悟りについてクソ長い論文みたいななあげてる奴いてこの界隈怖いと思った…
- ・コメの下に悟りについて詳しく解説してる勢が湧いててリハックの客層おもろすぎやろ笑
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・@sae2475 悟りの感覚を得たのも本当 だけど、もう正気に近くて、炎上でバズったのを利用してるモード
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・悟りハイ
- ・悟りの視点
- ・悟り
- ・悟りの感覚
- ・🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿
- ・悟り(enlightenment
- ・⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論
- ・悟りと
- ・悟りとは
-
人間の体( 18件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
- ・マーク・トウェインの「人間とは何か」に書かれていることがスーツさんの話に重なる。生きていたら、意気投合してただろうなあ。
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
- ・人間エネルギーカード、箕輪さんたしか都議選か参院選の前あたりに石丸さんと林さんに渡してたような😅
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・人間
- ・人間の能力や性質
- ・マーク・トウェインの「人間とは何
- ・人間エネルギーカード、箕輪さんたしか都議選か参院選の前あたり
- ・人間 おっしゃる
- ・人間の体
- ・人間の認識構造の変容過程
- ・人間の意識
- ・人間の思考や感情
- ・銀河・生命・人間・社会
- ・人間の苦しみ
- ・人間の認知機能
-
箕輪( 17件 )
- ・ドンペリ飲んでる箕輪さんが一番得してるよね😂
- ・箕輪は奥さんや子供を大事にした方がいいと思うよ😊。 相手?がいけちゃんか別の人かは知らないけど。
- ・聖者:スーツ 芸術家:村上隆 優秀なビジネスマン(俗人):箕輪 芸術家が両者を橋渡しできるけど、「ピン」しか言わない笑笑
- ・高橋さんからめて話さないと、コイツら何言ってるか分からん😂 あと、箕輪さん…女々しい。 あと、なんでもかんでもフィクションと宗教いっしょにしすぎ。 あと、考えすぎだろ😂
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
- ・箕輪が一番やばそう
- ・箕輪本当につまらない
- ・心が終わった後もなお続く結婚生活に苦悩してる箕輪さんが一番リアルw
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
- ・スーツのメンタルケアをする場かと思いきや箕輪のメンタルケアになってて面白い。
- ・箕輪さん、下品。自分がもらったみたいにシャンパン飲み過ぎ。
- ・箕輪さん苦手、😝
- ・箕輪要らん
- ・箕輪がだんだん酔っぱらってきて 最後なんだかシラけた
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
- ・村上さんがたくさん話されるのを初めて見たのですが、すごくすごく良い方だとわかりました。それに色々な新しいものも摂取されていてすごいですね!スーツさんもあいかわらず頭脳明晰で素敵でしたし、箕輪さんは紙ちぎりを見て案外良い方なのかなぁと☺
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
類似キーワード
- ・箕輪
- ・ビジネスマン(俗人):箕輪 芸術家
- ・箕輪さん
- ・箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人
- ・箕輪と村上
- ・きや箕輪のメンタルケア
- ・箕輪さん、下品
- ・箕輪さん苦手
- ・箕輪さんの最後のまとめ
-
精神科医( 16件 )
- ・賢い人はみんな精神病
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・スーツは神。 手のひらクルクルで草 精神病の深淵見たり枯れ尾花
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・精神科にかかってるそうなので、効き目が出てる感じはします 前回の雰囲気はヤバかった
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
- ・高橋さんの奥さんや息子さんが精神科に通って奇行を繰り返し元に戻れるか分からない時に、同じことをさせますか? これには答えて欲しい。
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
類似キーワード
- ・精神
- ・草 精神病
- ・精神科
- ・精神薬
- ・精神疾患
- ・今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する
- ・精神科医
- ・熟練の精神的自由保持者
- ・精神疾患の疑い
-
左脳派の高橋さん( 14件 )
- ・高橋さんからめて話さないと、コイツら何言ってるか分からん😂 あと、箕輪さん…女々しい。 あと、なんでもかんでもフィクションと宗教いっしょにしすぎ。 あと、考えすぎだろ😂
- ・高橋さんが一番賢い
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・奇しくも箕輪さんの語ってた動画から一歩進んでしまった
- ・2:17:16希死念慮なくて犯罪しないんだったら何が問題なの?? ここに高橋さんの全てが詰まってる
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・左脳派の高橋さんが右脳寄りなトークの展開を理解出来ていない所が面白かったです
- ・高橋さんの葛藤だね 見所は
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
- ・高橋さんの奥さんや息子さんが精神科に通って奇行を繰り返し元に戻れるか分からない時に、同じことをさせますか? これには答えて欲しい。
-
類似キーワード
- ・高橋さん
- ・高橋さん蚊帳の外
- ・@mila-tw7jd 高橋さん
- ・高橋さん箕輪さん
- ・箕輪さん
- ・高橋さんの全て
- ・高橋
- ・左脳派の高橋さん
- ・高橋さんの葛藤
- ・高橋さんの奥さんや息子さん
-
意味( 13件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・悪い意味でね
- ・@ぽむ-c3iもちろんそういう意味です。 ものすごくデリケートに扱うべき事象だと判断できていないんですよね。
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
-
類似キーワード
- ・そういう薄っぺらな意味
- ・意味
- ・意味、個性
- ・そういう意味
- ・その意味
-
自己の存在( 13件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・自己
- ・自己啓発セミナー
- ・自己の存在
- ・コントロール幻想と自己葛藤
- ・⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を
- ・存在
- ・自己意識そのもの
- ・自己と因果
-
村上隆( 13件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・ただの村上隆の営業だった
- ・1番のビジネスマンは村上隆
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
- ・村上氏が、解脱から1番遠い存在に見えたのは私だけか?
- ・村上隆頭良すぎて マジで面白い
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・「スーツさんと話してみたい(村上)」 って言ってる動画が昨日上がったばかりで、こんなすぐ実現するとは... さすがリハック
- ・村上隆二
-
類似キーワード
- ・村上隆
- ・ただの村上隆の営業
- ・村上
- ・村上氏
- ・村上隆頭
- ・村上隆って人
- ・村上隆二
-
村上さん( 12件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
- ・村上さんありがとう 本当一流の人は違う!優しい❤
- ・順番村上さんの『いぃっ!!!』がたまらなかった😂ラインの通知音にしたいくらいツボった
- ・村上さんが推してた映画「インターステラー 」
- ・村上さんちょとでしゃばりすぎな印象だったな。ピーンとかしつこいし、人の話遮る割にどうでもいい話多いし
- ・マルクス主義の斎藤先生との対談好きだし、村上さん出て欲しいわ。 正式にオファーしたらめっちゃ金掛かりそうだけれどw
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・若い人には気にならないかもしれませんが、セットの椅子の座り心地が気になります。村上さんクラスにはもっと良い椅子を用意してあげると見てる方も安心です。
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
- ・村上さんがたくさん話されるのを初めて見たのですが、すごくすごく良い方だとわかりました。それに色々な新しいものも摂取されていてすごいですね!スーツさんもあいかわらず頭脳明晰で素敵でしたし、箕輪さんは紙ちぎりを見て案外良い方なのかなぁと☺
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
類似キーワード
- ・村上さんが
- ・村上さん
- ・順番村上さんの『いぃっ!!!
- ・村上さんクラス
-
その芸術家の魂( 11件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
- ・僕もです笑 芸術家は悟らなくてもいいし、論理的じゃなくてもいいし、名誉欲も創作の源泉になるので、悪いことではないかもしれませんけど
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
類似キーワード
- ・芸術家
- ・芸術
- ・宗教や芸術系の分野の教養
- ・芸術家の精神の投影
- ・その芸術家の魂
-
自分の話( 9件 )
- ・面白かったです! 世の中は、本当に自分達で創り出したどうでもいいことばっかよ! 自分がどう感じるか、どう感情が動くか、何を信じるか、それが全て、ピカっと感じるがままに♪ この二つを上手く行き来して人生楽しもう🎉
- ・箕輪さん、下品。自分がもらったみたいにシャンパン飲み過ぎ。
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・似た様な状況になった自分の経験談から言うと、たぶん来年にはスーツさんは落ち着いてると思う。3年はもたない(落ち着く)だろうと予言しておく。
- ・スーツさんには、自分の話を聞いてくれる「先輩達」が必要なんじゃないかな。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・自分
- ・自分のこと
- ・自分の経験談
- ・自分の話
- ・自分の意志
- ・自分の思考・感情
- ・、「思考・感情≠自分」という視座の転換
-
このコメント( 9件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
- ・コメント欄に悟ってるやつちょくちょくいて草
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・「ようこそアートへ」という村上さんのコメントは、仏教的には、「ようこそ自由へ」と解釈できました
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
-
類似キーワード
- ・コメント欄
- ・コメント
- ・このコメント
- ・心配のコメント
- ・アートへ」という村上さんのコメント
- ・当たり前のコメント
-
自分( 8件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・自分
-
このメンツの化学反応最高( 8件 )
- ・何気なく見始めたら 面白過ぎて止まらない 最高です👏
- ・25:50ここ好き笑 27:28〜28:55ここマジ草 29:59もう最高で草 43:14ちょっと悲しそう(泣)
- ・最高に面白いな!役者が揃いすぎてる。宗教未満はパンチライン
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
- ・面白かった!最高よ🎉
- ・寝転んで話すスーツさんとか最高かよw
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
-
類似キーワード
- ・55ここマジ草 29:59もう最高
- ・最高
- ・最高責任者」なる
- ・このメンツの化学反応最高
-
状態( 7件 )
- ・コメ欄の下の方にスーツと同じ状態奴結構いるの笑う😂
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・状態
- ・思考停止状態
-
感情( 7件 )
- ・天才を解るきっかけは、感情をみないと平凡は理解してできないのかもね
- ・面白かったです! 世の中は、本当に自分達で創り出したどうでもいいことばっかよ! 自分がどう感じるか、どう感情が動くか、何を信じるか、それが全て、ピカっと感じるがままに♪ この二つを上手く行き来して人生楽しもう🎉
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・感情
- ・自己」と「思考・感情
- ・自らの思考・感情
- ・思考・感情
- ・思考や感情
- ・思考・感情・出来事
-
意識構造と物理法則の整合的現象( 6件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・現象
- ・脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態
- ・エントロピー的因果の一現象
- ・意識構造と物理法則の整合的現象
- ・自然現象
-
本質( 6件 )
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
- ・スーツ着ているだけで本質は何も変わっていない。改善も何も、前回から彼は正常です。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・めちゃめちゃ面白かった! 色々な本質論を感じたわ。 あと、目覚めたてのスーツさんが覚醒済みの本物に圧倒されてるのも可愛かった(笑)
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・本質
- ・本質論
- ・その本質
-
リハック( 6件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
- ・コメの下に悟りについて詳しく解説してる勢が湧いててリハックの客層おもろすぎやろ笑
- ・このスピード感リハックでしかできないよな すごすぎるわ
- ・クッソ面白かった。興味深かった。リハックでしか出来ないキャスティングと対談。
- ・なんだよ画像がギザギザなんだけど、、、インターレースになってるんでしょ、リハックのダメ具合
- ・何年後かのリハックだったらいい椅子や机を持っているかも???
-
類似キーワード
- ・リハックの客層
- ・このスピード感リハック
- ・リハック
- ・リハックのダメ
- ・何年後かのリハック
-
一つの感想( 6件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
- ・体が一つじゃないから
- ・益田見てるか???一つの正しさだけじゃ人は生けていけないんよ。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
- ・一つの感想でしか無い。 めちゃくちゃ面白かった。
-
類似キーワード
- ・一つ
- ・要素の一つ
- ・一つの思考
- ・一つの感想
-
問題( 6件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・2:17:16希死念慮なくて犯罪しないんだったら何が問題なの?? ここに高橋さんの全てが詰まってる
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
類似キーワード
- ・問題
- ・問題を建てて
- ・問題の建て方
-
そんなこと( 5件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
- ・社員10人くらい抱えてるんじゃなかった?そんなことする…?もう仕事嫌になったとか…?
- ・高橋さんの奥さんや息子さんが精神科に通って奇行を繰り返し元に戻れるか分からない時に、同じことをさせますか? これには答えて欲しい。
-
類似キーワード
- ・こと
- ・そんなこと
- ・同じこと
-
一番( 5件 )
- ・ドンペリ飲んでる箕輪さんが一番得してるよね😂
- ・高橋さんが一番賢い
- ・箕輪が一番やばそう
- ・心が終わった後もなお続く結婚生活に苦悩してる箕輪さんが一番リアルw
- ・スーツさんが元気になってそうな事が一番です
-
類似キーワード
- ・一番
- ・一番リアル
-
動画( 5件 )
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
- ・奇しくも箕輪さんの語ってた動画から一歩進んでしまった
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・「スーツさんと話してみたい(村上)」 って言ってる動画が昨日上がったばかりで、こんなすぐ実現するとは... さすがリハック
- ・バタイユの彼岸の概念を連想させるようなすごい対談でした 貴重な動画ありがとうございます 虚無に対してどうすればいいのだろう… 虚無なことは理解しつつも 大切な人と一日一日懸命に生きていくしかないのかな
-
類似キーワード
- ・動画
-
その虚無の中( 5件 )
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・バタイユの彼岸の概念を連想させるようなすごい対談でした 貴重な動画ありがとうございます 虚無に対してどうすればいいのだろう… 虚無なことは理解しつつも 大切な人と一日一日懸命に生きていくしかないのかな
-
類似キーワード
- ・虚無
- ・その虚無の中
- ・ショーペンハウアーの虚無な世界
-
コメ欄の9割( 5件 )
- ・コメ欄の下の方にスーツと同じ状態奴結構いるの笑う😂
- ・コメ欄で悟りについてクソ長い論文みたいななあげてる奴いてこの界隈怖いと思った…
- ・ステハゲのコメ欄にナッシュの食いすぎでスーツが狂ったって本気で心配してるコメあって不謹慎だけど爆笑しちゃったw今回はだいぶ戻っててよかったわ
- ・コメの下に悟りについて詳しく解説してる勢が湧いててリハックの客層おもろすぎやろ笑
- ・コメ欄の9割が『面白い』っていう感想だから偽物なんだろうなー
-
類似キーワード
- ・コメ欄
- ・コメ
- ・コメの下
- ・コメ欄の9割
-
苦しみの否定( 4件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・苦しみ
- ・個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面
- ・それは「苦しみの否定」では
-
宇宙的エントロピーの流れ( 4件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・流れ
- ・宇宙的エントロピーの流れ
-
陸上の世界( 4件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・陸上の世界
- ・世界
-
セットの椅子の座り心地( 4件 )
- ・薬が少しは効いているのかな… 椅子に長時間座っていれるし。
- ・若い人には気にならないかもしれませんが、セットの椅子の座り心地が気になります。村上さんクラスにはもっと良い椅子を用意してあげると見てる方も安心です。
- ・何年後かのリハックだったらいい椅子や机を持っているかも???
-
類似キーワード
- ・セットの椅子の座り心地
- ・椅子
- ・椅子や机
-
ところ( 4件 )
- ・全ての目標を達成し、欲の少ない人が行き着くところなのかな 人生は無意味で死ぬまで暇つぶし
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
類似キーワード
- ・芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところ
- ・そういうところ
- ・ところ
-
益田( 4件 )
- ・益田見てるか???一つの正しさだけじゃ人は生けていけないんよ。
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
-
類似キーワード
- ・益田の
- ・益田さん
-
感想( 4件 )
- ・コメ欄の9割が『面白い』っていう感想だから偽物なんだろうなー
- ・そう思うならそうなんじゃないのって感想しかない
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
-
類似キーワード
- ・感想
- ・個人の感想
-
必然( 3件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・奇跡
- ・必然
-
この感覚( 3件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・感覚
-
受容( 3件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・受容
-
結論( 3件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・結論するから着地点がおかしくなる訳
- ・結論(Conclusion) 本稿
-
認識の再構築行為( 3件 )
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・行為
- ・認識の再構築行為
-
法則( 3件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・**エントロピー増大の法則
- ・第二法則)**
-
一般人( 3件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・一般人
- ・一般
-
宗教未満( 3件 )
- ・最高に面白いな!役者が揃いすぎてる。宗教未満はパンチライン
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・宗教
- ・宗教的体験
-
こういう話( 3件 )
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
- ・素晴らしかったです!ありがとうございます!🎉 こういう話が今必要!
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・こういう話
- ・こういう
-
ほう( 3件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
類似キーワード
- ・ほう
-
そもそも( 3件 )
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
-
類似キーワード
- ・そもそも『
- ・そもそも
-
感じ( 3件 )
- ・面白かったです! 世の中は、本当に自分達で創り出したどうでもいいことばっかよ! 自分がどう感じるか、どう感情が動くか、何を信じるか、それが全て、ピカっと感じるがままに♪ この二つを上手く行き来して人生楽しもう🎉
- ・精神科にかかってるそうなので、効き目が出てる感じはします 前回の雰囲気はヤバかった
- ・いや一人でスーツ教の教祖になってほしいわ 既存のシステムに取り込まれてよくある感じになってもつまらない
-
類似キーワード
- ・感じ
-
生配信( 3件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
- ・ただただ医学・薬のすごさがわかる配信
-
類似キーワード
- ・生配信
- ・配信
-
作品( 3件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
類似キーワード
- ・作品
-
日本( 3件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
類似キーワード
- ・日本
- ・日本の現状
-
アート( 3件 )
- ・よくわかった。私はアートはわからないって事を。
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
-
類似キーワード
- ・アート
-
前回の雰囲気( 3件 )
- ・スーツさん、前回と顔も言動も全く違う。とにかく症状が改善に向かってそうでよかった。
- ・スーツ着ているだけで本質は何も変わっていない。改善も何も、前回から彼は正常です。
- ・精神科にかかってるそうなので、効き目が出てる感じはします 前回の雰囲気はヤバかった
-
類似キーワード
- ・前回
- ・前回の雰囲気
-
した( 3件 )
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
類似キーワード
- ・した
- ・もんでした 🤣🙏 ついでながら、
-
ぴゅんっ( 3件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
類似キーワード
- ・ぴゅんっ
- ・その「ぴゅんっ
-
村上隆さん( 3件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
- ・スーツ君が元気そうで何より!村上隆さんと繋がるなんて人生ってわかんないね〜
-
類似キーワード
- ・村上隆さん
-
ひゃくえむ( 3件 )
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
-
類似キーワード
- ・ひゃくえむ
- ・スーツ氏、ひゃくえむ
-
ポストモダン( 3件 )
- ・ポストモダンのいい面というか、ポストモダンの大家を前にして、これぞポストモダンという場だよなぁ。
-
類似キーワード
- ・ポストモダンの大家
- ・これぞポストモダンという場
-
第一の脳( 2件 )
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・第一の脳
-
感動( 2件 )
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
類似キーワード
- ・感動
-
以下の二つの前提( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・以下
-
それら( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・それら
-
既存のシステム( 2件 )
- ・いや一人でスーツ教の教祖になってほしいわ 既存のシステムに取り込まれてよくある感じになってもつまらない
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・システム
-
体験内容と主体( 2件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・体験内容と主体
-
刺激( 2件 )
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果
-
すべて( 2件 )
- ・スーツさん!!!三島由紀夫の鏡子の家を読んでください!!! 三島がすべてを教えてくれます!!!
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・すべての現象
-
一歩( 2件 )
- ・奇しくも箕輪さんの語ってた動画から一歩進んでしまった
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・あるがままの受容」への第一歩
-
すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動
-
主体( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・主体
-
この立場( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・この立場
-
現実との関係性の再構築( 2件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・現実との関係性の再構築
-
本稿( 2件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・本稿
-
事象( 2件 )
- ・@ぽむ-c3iもちろんそういう意味です。 ものすごくデリケートに扱うべき事象だと判断できていないんですよね。
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
類似キーワード
- ・外的事象そのもの
-
三島( 2件 )
- ・スーツさん!!!三島由紀夫の鏡子の家を読んでください!!! 三島がすべてを教えてくれます!!!
-
類似キーワード
- ・三島
-
仕事( 2件 )
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
- ・社員10人くらい抱えてるんじゃなかった?そんなことする…?もう仕事嫌になったとか…?
-
類似キーワード
- ・仕事
-
人の対談( 2件 )
- ・@M.H-p3uそう。良い悪いではなく、完全に解脱した人と、解脱したいが現世に未練がある人と、解脱したつもりになっている人の対談に見えました。
- ・バタイユの彼岸の概念を連想させるようなすごい対談でした 貴重な動画ありがとうございます 虚無に対してどうすればいいのだろう… 虚無なことは理解しつつも 大切な人と一日一日懸命に生きていくしかないのかな
-
類似キーワード
- ・対談
-
時点( 2件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
類似キーワード
- ・時点
-
仏教の終着点みたいなもん( 2件 )
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
類似キーワード
- ・もん
-
瞬間( 2件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
類似キーワード
- ・瞬間
-
天気( 2件 )
- ・天気操りおじさんはどんな修羅場を超えてきたのか想像もつかない
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
-
類似キーワード
- ・天気
-
人たち( 2件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
-
類似キーワード
- ・人たち
-
そういう普通の押し付け( 2件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
-
類似キーワード
- ・普通
-
の(良い( 2件 )
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
-
類似キーワード
- ・の(良い
-
ピーン( 2件 )
- ・村上さんちょとでしゃばりすぎな印象だったな。ピーンとかしつこいし、人の話遮る割にどうでもいい話多いし
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
-
類似キーワード
- ・ピーン
-
お金( 2件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
-
類似キーワード
- ・お金
-
現世( 2件 )
- ・@M.H-p3uそう。良い悪いではなく、完全に解脱した人と、解脱したいが現世に未練がある人と、解脱したつもりになっている人の対談に見えました。
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
-
類似キーワード
- ・現世
-
R-18( 2件 )
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
-
類似キーワード
- ・R-18の壁
-
病人( 2件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
-
類似キーワード
- ・病人
-
テーマ( 2件 )
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
-
類似キーワード
- ・テーマ
-
幸せ( 2件 )
- ・幸せになれた
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
類似キーワード
- ・幸せ
-
起点( 2件 )
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
類似キーワード
- ・起点
-
ない( 2件 )
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
- ・こんなIFも思考実験に過ぎない訳で・・・
-
類似キーワード
- ・ない
-
結局( 2件 )
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
類似キーワード
- ・結局
-
表現物( 2件 )
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
類似キーワード
- ・表現
-
@ぽむ-c3i時系列( 2件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
- ・@ぽむ-c3iもちろんそういう意味です。 ものすごくデリケートに扱うべき事象だと判断できていないんですよね。
-
類似キーワード
- ・@ぽむ-c3i
-
種の答え合わせ( 2件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
類似キーワード
- ・答え
-
人の話( 2件 )
- ・村上さんちょとでしゃばりすぎな印象だったな。ピーンとかしつこいし、人の話遮る割にどうでもいい話多いし
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
類似キーワード
- ・人の話
-
世間( 2件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
類似キーワード
- ・世間
-
覚醒済みの本物( 2件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・めちゃめちゃ面白かった! 色々な本質論を感じたわ。 あと、目覚めたてのスーツさんが覚醒済みの本物に圧倒されてるのも可愛かった(笑)
-
類似キーワード
- ・覚醒済みの本物
-
これまでの「虚構( 2件 )
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
-
類似キーワード
- ・虚構
-
世の中( 2件 )
- ・面白かったです! 世の中は、本当に自分達で創り出したどうでもいいことばっかよ! 自分がどう感じるか、どう感情が動くか、何を信じるか、それが全て、ピカっと感じるがままに♪ この二つを上手く行き来して人生楽しもう🎉
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
-
類似キーワード
- ・諸行無常の世の中
-
哲学( 2件 )
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
-
類似キーワード
- ・哲学
-
通り( 2件 )
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
-
類似キーワード
- ・通り
-
第一線( 2件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
類似キーワード
- ・第一線
-
キャスティング( 2件 )
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
- ・クッソ面白かった。興味深かった。リハックでしか出来ないキャスティングと対談。
-
類似キーワード
- ・キャスティング
-
全力( 2件 )
- ・各界の一流のおじさんたち3人が全力でスーツさんを守り支え、スーツさんと周りの方々のこれからの人生が続くよう全力で頑張った回だったと思います。愛にあふれた対話だったと理解しました。
-
類似キーワード
- ・全力
-
シャン( 2件 )
- ・箕輪さん、下品。自分がもらったみたいにシャンパン飲み過ぎ。
- ・だいぶシャンとしてて安心したわ
-
類似キーワード
- ・シャン
-
偽物( 2件 )
- ・何が偽物なの?
- ・コメ欄の9割が『面白い』っていう感想だから偽物なんだろうなー
-
類似キーワード
- ・偽物
-
空気みたいなもの( 2件 )
- ・冒頭の無音でうろうろしているあたり、生っぽくて好き。テレビにはない空気
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
-
類似キーワード
- ・空気みたいなもの
-
そこで( 2件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
-
類似キーワード
- ・そこで
-
ハートレス( 2件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
-
類似キーワード
- ・ハートレス
-
時間( 2件 )
- ・薬が少しは効いているのかな… 椅子に長時間座っていれるし。
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
類似キーワード
- ・時間
-
番組( 2件 )
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
類似キーワード
- ・この番組
-
ソフトハード( 2件 )
- ・@ソフトハード-x7tでももう一体も最近歌謡祭とか出てるしな。。調整大変そう。
- ・@ソフトハード-x7tこっわ
-
類似キーワード
- ・ソフトハード
-
過去( 2件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
- ・願うのは、共感できない次元にスーツさんが行ってしまわないことです。もう回復していて変な奴を演じてるのかは分からないけど、スーツさん過去動画でキャラを演じることをあまりよく思ってない発言してたからな、、エンタメの世界なら過去の発言も捨てるのかな
-
類似キーワード
- ・過去の発言
-
キャラ( 2件 )
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
- ・願うのは、共感できない次元にスーツさんが行ってしまわないことです。もう回復していて変な奴を演じてるのかは分からないけど、スーツさん過去動画でキャラを演じることをあまりよく思ってない発言してたからな、、エンタメの世界なら過去の発言も捨てるのかな
-
類似キーワード
- ・キャラ
-
相手( 2件 )
- ・箕輪は奥さんや子供を大事にした方がいいと思うよ😊。 相手?がいけちゃんか別の人かは知らないけど。
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
類似キーワード
- ・相手
-
期待や不安の先( 2件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
類似キーワード
- ・期待や不安の先
-
ライン( 2件 )
- ・順番村上さんの『いぃっ!!!』がたまらなかった😂ラインの通知音にしたいくらいツボった
- ・最高に面白いな!役者が揃いすぎてる。宗教未満はパンチライン
-
類似キーワード
- ・ライン
-
回復の途中( 2件 )
- ・スーツさんが回復の途中で良かった 誰にでも複数の自分は脳に存在すると思います
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
類似キーワード
- ・途中
-
改善( 2件 )
- ・スーツさん、前回と顔も言動も全く違う。とにかく症状が改善に向かってそうでよかった。
- ・スーツ着ているだけで本質は何も変わっていない。改善も何も、前回から彼は正常です。
-
類似キーワード
- ・改善も何
-
わけ( 2件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
類似キーワード
- ・わけ
-
映画「インターステラー( 2件 )
- ・インターステラー推してるの一周回ってめっちゃ普通で、意外と普通に良いものを普通に良いって言うんだなってがっかりというか、逆にそれが真理なのかというか、
- ・村上さんが推してた映画「インターステラー 」
-
類似キーワード
- ・映画「インターステラー
-
人生( 2件 )
- ・全ての目標を達成し、欲の少ない人が行き着くところなのかな 人生は無意味で死ぬまで暇つぶし
- ・スーツ君が元気そうで何より!村上隆さんと繋がるなんて人生ってわかんないね〜
-
類似キーワード
- ・人生
-
ステハゲ( 2件 )
- ・ステハゲ「馬鹿な息子をそれでも愛そう」
- ・ステハゲのコメ欄にナッシュの食いすぎでスーツが狂ったって本気で心配してるコメあって不謹慎だけど爆笑しちゃったw今回はだいぶ戻っててよかったわ
-
類似キーワード
- ・ステハゲのコメ欄
-
狂気( 2件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
-
類似キーワード
- ・狂気
-
今回( 2件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
- ・ステハゲのコメ欄にナッシュの食いすぎでスーツが狂ったって本気で心配してるコメあって不謹慎だけど爆笑しちゃったw今回はだいぶ戻っててよかったわ
-
類似キーワード
- ・今回
-
1番のビジネスマン( 2件 )
- ・この数年のコンテンツで1番面白かった
- ・1番のビジネスマンは村上隆
-
類似キーワード
- ・1番のビジネスマン
-
現実社会との調和( 2件 )
- ・僕も感心します 彼の元来の合理主義と論理性が調和を早めたかもしれないですよね
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
-
類似キーワード
- ・現実社会との調和
-
その出来事( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
因果的・普遍的な連鎖の一部( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
ドミノ( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
第二の脳( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
ご指摘( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
生放送( 1件 )
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
-
経過( 1件 )
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
-
Kojiro-i4c ご質問( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
一回性( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
無数の因果( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
一点( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
一方( 1件 )
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
角度の違い( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
その両方( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
同時に受け取る( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c ご質問ありがとうございます。 ご指摘で挙げられた「奇跡的な一回性」も、実は無数の因果が一点に収束した自然現象だと考えています。 “奇跡”と“必然”は観る角度の違いであり、悟りとはその両方を同時に受け取る感覚だと思います。 スーツさん的に言えば、第一の脳ではそれを「奇跡的な感動」として体験しますが、 第二の脳では、それを人間の認知機能が“奇跡ではなく因果的な必然”として理解する。 悟っていないとされている人が感じる「ドミノが倒れるのを見る感覚」とほぼ同じく、 その出来事を因果的・普遍的な連鎖の一部として捉えるのに近い状態です。
-
奇行( 1件 )
- ・高橋さんの奥さんや息子さんが精神科に通って奇行を繰り返し元に戻れるか分からない時に、同じことをさせますか? これには答えて欲しい。
-
迷い( 1件 )
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
診断( 1件 )
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
-
自由初心者( 1件 )
- ・スーツさんは自由初心者で迷いが生じてます。一方で、村上さんは熟練の精神的自由保持者であることが分かりました。箕輪さんの最後のまとめが正解な気がします。
-
現在( 1件 )
- ・精神科医が短絡的に診断をしないのは割とよくあるし、現在経過観察しつつ投薬しているということは精神疾患の疑いが強いという意味だと思いますが それでも生放送に出すんですね。
-
知覚の変容( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
その一部( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
我々の「体験( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この宇宙的拡散の中( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
制御対象( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
諦念( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
のへの同調( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
⸻ 6.( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
認識構造( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この構造( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
自然の理( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
脱世俗( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
例外( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
ビッグバンという最大のエントロピー発現点( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
宇宙の起源( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
エネルギーの拡散・均衡化の過程( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
いずれ( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
⸻ 4( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この気づきが( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
Husserl( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
因果構造の誤認による知覚的ノイズ( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この誤認識( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この拡散運動の延長上( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
自律的創造物( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
実際( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
境地( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
物事( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
認知科学・現象学・熱力学の観点( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
そこからの開放( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
認識の閉鎖性( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
再定義する試み( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
その核心( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
苦しみを含む( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
意識の転換( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
苦しみの発生要因( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
苦しみからの解脱( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
次に( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
現代社会( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
苦しみの主要因( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
認識の誤謬( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
超越的( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
外的環境( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
序論(Introduction) 悟り( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
⸻ 1.( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
この同一化構造( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
物理的因果の延長( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
エントロピー増大の原理( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
外的世界および内的世界の背後( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
たぶん悟り( 1件 )
- ・たぶん悟りってこういうことかな? 🧘♂️悟りの認識論的構造 ― 苦しみ・自己・エントロピーの関係についての考察 ― The Epistemological Structure of Enlightenment: A Study on Suffering, Self, and Entropy ⸻ 要約(Abstract) 本稿は、「悟り(enlightenment)」を宗教的体験としてではなく、人間の認識構造の変容過程として再定義する試みである。 一般に悟りは「苦しみからの解脱」として理解されるが、その本質は苦しみの否定ではなく、苦しみを含む現象全体を“あるがまま”に受け入れる意識の転換にあると考えられる。 本稿ではまず、苦しみの発生要因を「認識の誤謬」として分析し、次に「自己」と「思考・感情」を分離する立場を提示する。 さらに、外的世界および内的世界の背後に共通する法則としてエントロピー増大の原理を導入し、苦しみと受容のメカニズムを物理的因果の延長として位置づける。 最終的に、「悟り」とは人間の意識が宇宙的エントロピーの流れを自己の存在として受け入れる状態であることを示す。 ⸻ 1. 序論(Introduction) 悟りはしばしば超越的・宗教的な境地として描かれてきたが、その核心はむしろ現実との関係性の再構築にある。 現代社会において、苦しみの主要因は外的環境ではなく、人間が自らの思考・感情と同一化することにあると考えられる。 本稿ではこの同一化構造を「認識の閉鎖性」と捉え、そこからの開放としての悟りを、認知科学・現象学・熱力学の観点から再定義する。 ⸻ 2. 苦しみの発生構造(The Structure of Suffering) 苦しみの根源は、外的事象そのものではなく、それをどう認識し、意味づけるかにある。 人間は以下の二つの前提に無意識的に従っている: 1. 物事は自分の意志でコントロールできる。 2. 自分の思考・感情は自分が生み出している。 しかし実際には、思考・感情は外界刺激や身体状態といった因果的連鎖の結果であり、自律的創造物ではない。 この誤認識が、自己を「世界に働きかける主体」として想定し続けることで、コントロール幻想と自己葛藤を生む。 よって苦しみとは、因果構造の誤認による知覚的ノイズにほかならない。 ⸻ 3. 自己の認識論的転回(The Epistemological Shift of the Self) この誤認を解く鍵は、「思考・感情≠自分」という視座の転換である。 自己とは思考や感情を生起させるシステムではなく、それらを感じ、観察する存在である。 この立場は、仏教の「無我」や現象学の「意識の志向性(Husserl)」と整合する。 すなわち、自己とは「現象を体験する主体」であり、体験内容と主体は常に分離している。 この気づきが「あるがままの受容」への第一歩となる。 ⸻ 4. 物理的基盤 ― エントロピーと因果構造(Physical Basis: Entropy and Causality) 外界と内界はいずれも、**エントロピー増大の法則(第二法則)**に従って変化している。 すべての現象は、エネルギーの拡散・均衡化の過程として生起し、人間の思考や感情も例外ではない。 すなわち、怒り・喜び・恐怖といった情動も、脳内エネルギーの流動と散逸の現象形態にすぎない。 宇宙の起源を遡れば、ビッグバンという最大のエントロピー発現点に行き着く。 この拡散運動の延長上に、銀河・生命・人間・社会が生成され、我々の「体験」もその一部として展開している。 したがって、個人的苦しみもまた宇宙的エントロピーの一断面であり、抵抗するのではなく流れとして受容することが自然の理に適う行為である。 ⸻ 5. 悟りの定義の再構築(Reconstruction of Enlightenment) 上記の議論を総合すると、悟りとは以下のように定義できる: 悟りとは、思考・感情・出来事を制御対象とせず、 それらをエントロピー的因果の一現象として受容し、 それを感じる自己意識そのものに安住する状態である。 ここで重要なのは、受容は諦念ではなく、認識の再構築行為であるという点である。 それは「苦しみの否定」ではなく、「苦しみを構成する世界そのものへの同調」である。 ⸻ 6. 結論(Conclusion) 本稿は、悟りを意識構造と物理法則の整合的現象として再定義した。 人間の苦しみは、自己と因果を誤認する認識構造に起因し、それを修正することによってのみ受容が可能となる。 この構造は、エントロピーの不可逆的拡散という宇宙の基本原理と連続しており、悟りとはこの宇宙的拡散の中に自己を位置づける知覚の変容である。 したがって、悟りとは脱世俗ではなく、世界との同調である。 その意味で、悟りは宗教的ではなく、宇宙的であり、科学的であり、存在論的である。 ⸻
-
ぴぃーーーーーーーーーーーーー( 1件 )
- ・ぴぃーーーーーーーーーーーーーん。
-
神回( 1件 )
- ・神回でした
-
せーの、「きち( 1件 )
- ・ドアママさん!せーの、「きち〜w」
-
ドアママさん( 1件 )
- ・ドアママさん!せーの、「きち〜w」
-
紙ちぎり( 1件 )
- ・村上さんがたくさん話されるのを初めて見たのですが、すごくすごく良い方だとわかりました。それに色々な新しいものも摂取されていてすごいですね!スーツさんもあいかわらず頭脳明晰で素敵でしたし、箕輪さんは紙ちぎりを見て案外良い方なのかなぁと☺
-
頭脳( 1件 )
- ・村上さんがたくさん話されるのを初めて見たのですが、すごくすごく良い方だとわかりました。それに色々な新しいものも摂取されていてすごいですね!スーツさんもあいかわらず頭脳明晰で素敵でしたし、箕輪さんは紙ちぎりを見て案外良い方なのかなぁと☺
-
一過性( 1件 )
- ・よかった、一過性だったんだね(^^)
-
仮初の比喩( 1件 )
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
倫理観( 1件 )
- ・これ面白いって言ってるやつ正直グロすぎ、スーツの状態知っててこれ なんか色々語ってる割に一般的な倫理観すらねえんだなって思ったわ
-
絵と話( 1件 )
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
正直( 1件 )
- ・これ面白いって言ってるやつ正直グロすぎ、スーツの状態知っててこれ なんか色々語ってる割に一般的な倫理観すらねえんだなって思ったわ
-
塩梅( 1件 )
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
社員10人( 1件 )
- ・社員10人くらい抱えてるんじゃなかった?そんなことする…?もう仕事嫌になったとか…?
-
一日一日( 1件 )
- ・バタイユの彼岸の概念を連想させるようなすごい対談でした 貴重な動画ありがとうございます 虚無に対してどうすればいいのだろう… 虚無なことは理解しつつも 大切な人と一日一日懸命に生きていくしかないのかな
-
頭以外の着ぐるみ( 1件 )
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
全員( 1件 )
- ・全員に頭以外の着ぐるみ着せて対話させたほうが、仮初の比喩にもなって絵と話がいい塩梅にフィットすると思うんだけどなぁ 寝転んでも狂気っぽさがマイルドになるし
-
バタイユの彼岸の概念( 1件 )
- ・バタイユの彼岸の概念を連想させるようなすごい対談でした 貴重な動画ありがとうございます 虚無に対してどうすればいいのだろう… 虚無なことは理解しつつも 大切な人と一日一日懸命に生きていくしかないのかな
-
あれやこれ( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
神秘の隆起( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
その1回性( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
禅問答( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
@Kojiro-i4c説明( 1件 )
- ・@Kojiro-i4c説明を欲してる時点で、理知的に解そうとしてることに気づいていないから禅問答でも理解するところから始めればいい あとスペシャルな瞬間ってのは別にどこにでも転がってるもんだから、その1回性に神秘の隆起にこだわる意味もなく。あれやこれにそれを見出せばいいだけ
-
子達( 1件 )
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
-
ボール( 1件 )
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
-
その時( 1件 )
- ・私も悟りというか分離したことがあって、その時に箕輪さんみたいに「まだ現世で生きていたい」めっちゃ思ったんですよね。普通って最高ってなりました!このメンツの化学反応最高でしたよ
-
部分( 1件 )
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
-
30歳( 1件 )
- ・むちゃくちゃ面白かったけど、R-18にすべきです!! 刺激が強すぎる。 R-18の壁を破って見にくるような変な若い子達は見てもろて、 普通の(良い意味で)人たちは30歳になってから見ましょう!
-
一回限りの神秘性( 1件 )
- ・村上さんが、ピーンと表現した天気と同調したり、ボールが奇跡的に弧を描くという一回限りの神秘性というのは、どのように説明できますか?もしかしたらそれを説明する部分も書いてあったのかもしれないのですが、もしよければそこをお願いします。
-
見せ物( 1件 )
- ・高橋さんは「病人を見せ物にしてお金を稼いでいる」ことは自覚していると思うけどね 益田さんはそれを良くないと言っただけ 益田さんは当たり前のコメントをしただけで責められるのは意味わからない
-
上品( 1件 )
- ・スーツは声が上品なんだよな〜
-
松ちゃん( 1件 )
- ・松ちゃん…😭
-
まあ正論で( 1件 )
- ・まあ正論ではあるけど…
-
時の宇多田ヒカル( 1件 )
- ・藤圭子さんが自死された時の宇多田ヒカルを思い出して、それでもこれが当たり前だと、太宰を読むなら文句言うなと言えるのかな…と思います。
-
最後( 1件 )
- ・箕輪がだんだん酔っぱらってきて 最後なんだかシラけた
-
インターレース( 1件 )
- ・なんだよ画像がギザギザなんだけど、、、インターレースになってるんでしょ、リハックのダメ具合
-
画像がギザギザ( 1件 )
- ・なんだよ画像がギザギザなんだけど、、、インターレースになってるんでしょ、リハックのダメ具合
-
文句( 1件 )
- ・藤圭子さんが自死された時の宇多田ヒカルを思い出して、それでもこれが当たり前だと、太宰を読むなら文句言うなと言えるのかな…と思います。
-
太宰( 1件 )
- ・藤圭子さんが自死された時の宇多田ヒカルを思い出して、それでもこれが当たり前だと、太宰を読むなら文句言うなと言えるのかな…と思います。
-
このスピード感( 1件 )
- ・このスピード感。
-
藤圭子さん( 1件 )
- ・藤圭子さんが自死された時の宇多田ヒカルを思い出して、それでもこれが当たり前だと、太宰を読むなら文句言うなと言えるのかな…と思います。
-
多くの生命体の集合体( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
見所( 1件 )
- ・高橋さんの葛藤だね 見所は
-
カラオケ( 1件 )
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
-
インフルエンサーって大変( 1件 )
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
-
多くの人( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
寝転ん( 1件 )
- ・スーツさん、寝転んで登場してほしいかも…
-
その脳( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
生きよ( 1件 )
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
-
個々の人の代表者( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
危機( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
欲求( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
アキラ100%( 1件 )
- ・スーツさんくらいテーマ持ってても精神危うくなるってインフルエンサーって大変な仕事だね カラオケでアキラ100%やらなくてよかった
-
ベース( 1件 )
- ・人間の体は多くの生命体の集合体と言えます。それをコントロールしているのが脳だと思います。その脳は個々の人の代表者だと思います。それがぶれる事は危機だと言えると思います。であれば、違う強い脳に従属する欲求が、今のスーツさんの状態だと思っています。何にしたがったら良いのかをベースに、これから何を創りたいのか考える事が、幸せを感じられる一つの思考だと思います。多くの人はお金や権力、時代の正義に従う事が多いと思います。
-
可能性( 1件 )
- ・めちゃくちゃ面白かった。 常識のギリギリ境界にいて、可能性を拡げてくれる人には敬意を。 恐れず、狂う必要性はめちゃくちゃ感じるね。
-
男子高のノリ( 1件 )
- ・あっちはいつまでも男子高のノリで生きようとする流れなんで そもそもが精神が育っていない思考停止状態なので似て非なるもの
-
敬意( 1件 )
- ・めちゃくちゃ面白かった。 常識のギリギリ境界にいて、可能性を拡げてくれる人には敬意を。 恐れず、狂う必要性はめちゃくちゃ感じるね。
-
必要性( 1件 )
- ・めちゃくちゃ面白かった。 常識のギリギリ境界にいて、可能性を拡げてくれる人には敬意を。 恐れず、狂う必要性はめちゃくちゃ感じるね。
-
俺の好きなもの( 1件 )
- ・俺の好きなものが全部詰まってた 大爆笑と大泣き
-
全部( 1件 )
- ・俺の好きなものが全部詰まってた 大爆笑と大泣き
-
常識のギリギリ境界( 1件 )
- ・めちゃくちゃ面白かった。 常識のギリギリ境界にいて、可能性を拡げてくれる人には敬意を。 恐れず、狂う必要性はめちゃくちゃ感じるね。
-
大爆笑と大泣き( 1件 )
- ・俺の好きなものが全部詰まってた 大爆笑と大泣き
-
こんなIF( 1件 )
- ・こんなIFも思考実験に過ぎない訳で・・・
-
右脳寄り( 1件 )
- ・左脳派の高橋さんが右脳寄りなトークの展開を理解出来ていない所が面白かったです
-
くに( 1件 )
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
ズボン( 1件 )
- ・寝転んでましたしズボンも下ろしてましたよ
-
まさに現代の病( 1件 )
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
kk-bb3kp( 1件 )
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
クリエイターと編集者の違い( 1件 )
- ・クリエイターと編集者の違いが紙によって表された。
-
働きすぎる”って( 1件 )
- ・@kk-bb3kp “知に働きすぎる”って、良い表現ですね。まさに現代の病かもしれません。 結局ここを起点として自分はなんのナラティブを信じたいかが生きてくには大事ですよね。
-
思考実験( 1件 )
- ・こんなIFも思考実験に過ぎない訳で・・・
-
トークの展開( 1件 )
- ・左脳派の高橋さんが右脳寄りなトークの展開を理解出来ていない所が面白かったです
-
昨日( 1件 )
- ・「スーツさんと話してみたい(村上)」 って言ってる動画が昨日上がったばかりで、こんなすぐ実現するとは... さすがリハック
-
自害( 1件 )
- ・年上の先導者を周りに付けるって大事だよね じゃないと真面目な人ほど追い詰められて自害に走っちゃうので それはそれで勿体ないし
-
一人( 1件 )
- ・いや一人でスーツ教の教祖になってほしいわ 既存のシステムに取り込まれてよくある感じになってもつまらない
-
それに( 1件 )
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
ベルグソン( 1件 )
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
そのまま( 1件 )
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
その悪例( 1件 )
- ・そもそも『スーツがおかしい』って多数のリアクションを起点に問題を建ててそれにカウンター的に結論するから着地点がおかしくなる訳で。 確かベルグソンが『適切な問題の建て方がそのまま答えになる』的なこと言ってたけど、その悪例がこれでしょ。
-
周り( 1件 )
- ・年上の先導者を周りに付けるって大事だよね じゃないと真面目な人ほど追い詰められて自害に走っちゃうので それはそれで勿体ないし
-
ムショ( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
ホリエモン( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
事が( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
ふーくん( 1件 )
- ・ふーくん!?
-
魂に対しての冒涜( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
年上の先導者( 1件 )
- ・年上の先導者を周りに付けるって大事だよね じゃないと真面目な人ほど追い詰められて自害に走っちゃうので それはそれで勿体ないし
-
まじ( 1件 )
- ・まじいらねぇ
-
先輩達( 1件 )
- ・スーツさんには、自分の話を聞いてくれる「先輩達」が必要なんじゃないかな。
-
ただただ医学・薬のすごさ( 1件 )
- ・ただただ医学・薬のすごさがわかる配信
-
再眠」 再眠( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
それは悟り( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
世に対する重罪( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
お前( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
-
転換期( 1件 )
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
-
ロバート秋山( 1件 )
- ・ロバート秋山にしか見えない
-
薬との飲み合わせ( 1件 )
- ・薬との飲み合わせ悪いなか酒飲んだら錯乱しちゃうから危なかったな
-
なか酒( 1件 )
- ・薬との飲み合わせ悪いなか酒飲んだら錯乱しちゃうから危なかったな
-
現実」の中( 1件 )
- ・世間一般的に言われてる「現実」の中で問題を起こさない事が悟りではないと思う。 村上隆って人は、ホリエモンがムショで日本の現状を悟って問題起こさなくなったって言ってたけど、 悟った上で流れに迎合した時点でそれは悟りではなく、「再眠」 再眠で済めばいいが、本質は魂に対しての冒涜であり、世に対する重罪だろう。 そして、金もらって芸術に従事している人の話ほど薄っぺらいものはない。 黙って作品作ってて下さい。
-
人々( 1件 )
- ・「アート」は芸術家の精神の投影であり、人々はアートを通じてその芸術家の魂に触れることで感動を味わう。 今は物質世界の価値が減少し、精神世界の価値が増加する転換期。 結局はこれまでの「虚構」から新たな「虚構」が繰り返される諸行無常の世の中を生きているということ。
-
2:17:16希死念慮( 1件 )
- ・2:17:16希死念慮なくて犯罪しないんだったら何が問題なの?? ここに高橋さんの全てが詰まってる
-
メンタル上( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
-
モード( 1件 )
- ・@sae2475 悟りの感覚を得たのも本当 だけど、もう正気に近くて、炎上でバズったのを利用してるモード
-
コミュニケーション( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
-
音楽による無の中( 1件 )
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
-
ボタン( 1件 )
- ・いいねボタンが足りない⋯
-
秩序( 1件 )
- ・おっしゃる通りですね 自分も宗教、芸術、哲学疎いので詳しい方が解説される動画見てみたいです ショーペンハウアーの虚無な世界に対して音楽による無の中に美的な秩序を見いだすことなど面白そうなテーマたくさんあります
-
こういう場( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i時系列が分かってないんですけど、前回って精神科行ってましたっけ? 診断された内容とかって公開されてたりします? 個人の感想としては精神疾患だとしてもこういう場に出て、コミュニケーション取って解放できたほうがメンタル上いいだろうなという感想を持ったので高橋を責める気にはとてもなれません。 逆に心配のコメントってなんかありがたいとともに精神を逆に蝕むんじゃないか。と思ってます。 自分を普通と思ってる人がお前は普通じゃないから休んでろって言われてるのと変わらないと感じたので自分はそれを見てて不快でした。
-
鬱病( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
本人( 1件 )
- ・薬飲んでるから落ち着いてるんじゃない?本人は効いてるかわからないって言ってるけど…。
-
炎上( 1件 )
- ・@sae2475 悟りの感覚を得たのも本当 だけど、もう正気に近くて、炎上でバズったのを利用してるモード
-
一般論( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
準レギュラー( 1件 )
- ・スーツさんが準レギュラーになってますね。
-
根拠( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
見世物( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
考え( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
割合( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
あと休養( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
投稿( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
を背景( 1件 )
- ・@ぽむ-c3i 病人といってる根拠がよくわからない。 見世物がダメって考えがそもそもどうなのと言う気がするし、あくまで要素の一つでそれが全てではないし、割合としても少ないと思うが。 あと休養を勧めるような投稿をして、それを背景にコメント欄にはそれがあふれていた。 自分は益田のYouTubeを見てるし、コメントは一般論としてはそうかも知れないが、そういう普通の押し付けが鬱病になる本質だと自分は思ってるのでイラついたし、今回のスーツの言動はそういうところから来てる気がするので、このコメントになってる。
-
効き目( 1件 )
- ・精神科にかかってるそうなので、効き目が出てる感じはします 前回の雰囲気はヤバかった
-
一切( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
くそ( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
40代文系( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
アテンション( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
バタイユの話( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
られるよう( 1件 )
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
-
教養( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
自体、( 1件 )
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
-
これ系の話( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
奥の細道的な形( 1件 )
- ・これ系の話で教養ある高橋さん箕輪さんいて、バタイユの話が一切でてこないのって意外だったわ 第一線でアテンション集め続けてる40代文系に宗教や芸術系の分野の教養が薄いのはある種の答え合わせのように勘ぐってしまうくらいに あとスーツさんの現時点での6万字はたぶんくそほど意味ないから、やるなら奥の細道的な形を与えたほうがいい
-
オモロイ「漫談( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
本物の<左翼>( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
アイテ( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
昭和の昔( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
カネ( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
お方が( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
ブレイクスルー( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
あれこれ( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
いん( 1件 )
- ・いんふるえんざのうしょうだろうね
-
アルコール( 1件 )
- ・@mila-tw7jd 高橋さんは今スーツさんが精神科にかかって、精神薬を飲んでいると認識している だからアルコールを飲ませなかった 病気療養中のスーツさんを生配信に出して刺激すること自体、褒められるような行為ではないと思う
-
アヤシイ会社( 1件 )
- ・〝火消し〟のための生配信? オモロイ「漫談」だこと 😂 本物の<左翼>は アイテにせんだろうね。そう言えば 昭和の昔「自己啓発セミナー」をうたって カネふんだくる アヤシイ会社があったっけ「ブレイクスルー」が大切なんだと…。参加してあれこれ言ってやると「最高責任者」なるお方が登場したもんでした 🤣🙏 ついでながら、田中泯さんは 今年文化功労者表彰です 🥰 ホンモノですねぇ・・・
-
来年( 1件 )
- ・似た様な状況になった自分の経験談から言うと、たぶん来年にはスーツさんは落ち着いてると思う。3年はもたない(落ち着く)だろうと予言しておく。
-
3年( 1件 )
- ・似た様な状況になった自分の経験談から言うと、たぶん来年にはスーツさんは落ち着いてると思う。3年はもたない(落ち着く)だろうと予言しておく。
-
クッソ( 1件 )
- ・クッソ面白かった。興味深かった。リハックでしか出来ないキャスティングと対談。
-
対話( 1件 )
- ・各界の一流のおじさんたち3人が全力でスーツさんを守り支え、スーツさんと周りの方々のこれからの人生が続くよう全力で頑張った回だったと思います。愛にあふれた対話だったと理解しました。
-
神聖かまってちゃん、の子さん( 1件 )
- ・神聖かまってちゃん、の子さんを思い出した🎉サイコー
-
各界の一流のおじさんたち3人( 1件 )
- ・各界の一流のおじさんたち3人が全力でスーツさんを守り支え、スーツさんと周りの方々のこれからの人生が続くよう全力で頑張った回だったと思います。愛にあふれた対話だったと理解しました。
-
状況( 1件 )
- ・似た様な状況になった自分の経験談から言うと、たぶん来年にはスーツさんは落ち着いてると思う。3年はもたない(落ち着く)だろうと予言しておく。
-
糖質( 1件 )
- ・スーツがインフルエンザ脳症から、糖質になったとかXで騒がれてたけど、だいじょうぶそうか
-
インフルエンザ脳症( 1件 )
- ・スーツがインフルエンザ脳症から、糖質になったとかXで騒がれてたけど、だいじょうぶそうか
-
子の再来( 1件 )
- ・オレもそう思った。の子の再来
-
オレ( 1件 )
- ・オレもそう思った。の子の再来
-
シリウス( 1件 )
- ・以前のスーツは神秘のアーチの向こう側へいってしまった、シリウスのように
-
神秘のアーチの向こう側( 1件 )
- ・以前のスーツは神秘のアーチの向こう側へいってしまった、シリウスのように
-
社会人( 1件 )
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
-
同調圧力( 1件 )
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
-
同じ事( 1件 )
- ・同じ事を思いました
-
外れ( 1件 )
- ・日本はみんな同調圧力というか、空気みたいなものがあって、社会人ともなるとますますそれが強まって、まず外れた行動はみんながしないものですが、そこで行動したスーツさんはある意味、個性があるということかもしれません。だから、村上さんが話したくなったのかも。芸術の世界って世の中のものさしと真逆のところがあるだろうから、、、。
-
マルクス主義の斎藤先生との対談好き( 1件 )
- ・マルクス主義の斎藤先生との対談好きだし、村上さん出て欲しいわ。 正式にオファーしたらめっちゃ金掛かりそうだけれどw
-
おじいさんの話( 1件 )
- ・おじいさんの話はことごとくつまらないね
-
ニュータイプ( 1件 )
- ・駄目だ、俺には全く分からん。重力に縛られていてニュータイプに成れない。
-
重力( 1件 )
- ・駄目だ、俺には全く分からん。重力に縛られていてニュータイプに成れない。
-
仲間( 1件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
-
」のような感覚( 1件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
-
第三者( 1件 )
- ・ふとした瞬間に気付いたことで自己分離し、ハートレス(脳)とノーバディ(身体)になったスーツさん。 ハートレスから見ると、ノーバディのことを第三者として客観的に見えてしまう。 「綺麗」のような感覚に対しても自分のことのように思えない状態なので、スーツさんには仲間が必要だ!
-
クルクル( 1件 )
- ・スーツは神。 手のひらクルクルで草 精神病の深淵見たり枯れ尾花
-
かっこいい先輩( 1件 )
- ・超平和だ こんなかっこいい先輩に話聞いてもらえるのいいな
-
冒頭の無音( 1件 )
- ・冒頭の無音でうろうろしているあたり、生っぽくて好き。テレビにはない空気
-
あたり( 1件 )
- ・冒頭の無音でうろうろしているあたり、生っぽくて好き。テレビにはない空気
-
印象( 1件 )
- ・村上さんちょとでしゃばりすぎな印象だったな。ピーンとかしつこいし、人の話遮る割にどうでもいい話多いし
-
テレビ( 1件 )
- ・冒頭の無音でうろうろしているあたり、生っぽくて好き。テレビにはない空気
-
ルイヴィトンとコラボ( 1件 )
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
パリ( 1件 )
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
イベント( 1件 )
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
ドンペリともコラボ中( 1件 )
- ・村上隆は今、ルイヴィトンとコラボでパリでイベントやって、、 ドンペリともコラボ中なのになんでこの番組に出る時間があるんだ…
-
nekoneko3850( 1件 )
- ・@nekoneko3850 全然不謹慎ではないと思いますよ 😅
-
説明力( 1件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
-
表現力( 1件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
-
観察力( 1件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
-
35歳( 1件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
-
みんなpunk( 1件 )
- ・みんなpunkだね! めっちゃ面白かった🎉
-
ピヨーーーーン( 1件 )
- ・ピヨーーーーン!!!💥💥💥 おもしろかったです。
-
他者理解 おそらく発達障害( 1件 )
- ・スーツさんが普通に頭良すぎてワクワクする 観察力、説明力、表現力、自己理解、他者理解 おそらく発達障害だし35歳くらいまで柔軟に成長すると思うからどこまで頭良くなるのかずっとみたい
-
エンタメの世界( 1件 )
- ・願うのは、共感できない次元にスーツさんが行ってしまわないことです。もう回復していて変な奴を演じてるのかは分からないけど、スーツさん過去動画でキャラを演じることをあまりよく思ってない発言してたからな、、エンタメの世界なら過去の発言も捨てるのかな
-
次元( 1件 )
- ・願うのは、共感できない次元にスーツさんが行ってしまわないことです。もう回復していて変な奴を演じてるのかは分からないけど、スーツさん過去動画でキャラを演じることをあまりよく思ってない発言してたからな、、エンタメの世界なら過去の発言も捨てるのかな
-
皆さんのお話し( 1件 )
- ・皆さんのお話しで、 とても癒されました。 ありがとうございました😊
-
終始( 1件 )
- ・箕輪と村上はスーツの足下にも及んでなくて見てられん。誰やキャスティングした奴は、スーツは終始第一の脳でキャラを演じきってたぞ。
-
欲望( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
自分の努力( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
実はそこがスタート地点( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
はたまた短距離走( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
もう一体( 1件 )
- ・@ソフトハード-x7tでももう一体も最近歌謡祭とか出てるしな。。調整大変そう。
-
なんのため( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
歌謡祭( 1件 )
- ・@ソフトハード-x7tでももう一体も最近歌謡祭とか出てるしな。。調整大変そう。
-
調整( 1件 )
- ・@ソフトハード-x7tでももう一体も最近歌謡祭とか出てるしな。。調整大変そう。
-
役者( 1件 )
- ・最高に面白いな!役者が揃いすぎてる。宗教未満はパンチライン
-
お風呂( 1件 )
- ・スーツさんお風呂入ってるっぽいし表情も変わったしちゃんとスーツ着てるしなんか安心した
-
表情( 1件 )
- ・スーツさんお風呂入ってるっぽいし表情も変わったしちゃんとスーツ着てるしなんか安心した
-
最近( 1件 )
- ・@ソフトハード-x7tでももう一体も最近歌謡祭とか出てるしな。。調整大変そう。
-
結婚生活( 1件 )
- ・心が終わった後もなお続く結婚生活に苦悩してる箕輪さんが一番リアルw
-
中盤以降( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
厨二病ワード( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
要は思考( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
フラット( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
入口( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
どんな分野( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
固定概念( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
の試合( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
0.01秒( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
目的( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
成長曲線の終盤( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
タイム( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
永遠の反復練習( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
同じ道( 1件 )
- ・途中でつまんないとかコメントしてごめんなさい。特に中盤以降、面白かった。結論として、スーツさんは最もまとも。悟り/覚醒/目覚めてるとか、厨二病ワードで例える人多いけど、要は思考がフラットなわけ。世間の常識やルールは理解しつつも、変な固定概念にとらわれない状態。これが入口なんだろうね。で、考えてみると、どんな分野でも第一線で確約している人は同じ道を通っていると思います。例えば最もシンプルな陸上の短距離なんて、プロになろうものなら毎日が反復練習の地道な繰り返し。たまの試合で0.01秒早くなることを目的にずーと取り組む。成長曲線の終盤でタイムもなかなか伸びず、永遠の反復練習に飽きてきて、なんのために必死に走ってるかわからなくなるし、自分の努力に意味なんてないと感じるのだと思います。しかし、実はそこがスタート地点。頭がおかしくなりそうな期待や不安の先に虚無があり、その虚無の中で意味がないと思う精神を凌駕する「ぴゅんっ!」が出るかどうか。相手に勝ちたいとか、誰よりも早く走りたいとか、はたまた短距離走とは全く関係ない欲望か。人によって「ぴゅんっ!」は違うのでしょうけど、それが走ることと結びついている人が、陸上の世界で活躍するのでしょうね。その「ぴゅんっ!」が見つからなければ、スーツさんはこれから絶望していくでしょうし、見つかれば新たなスーツとして更に活躍していくでしょう。この感覚って、なにかに必死に取り組んで、絶望したことがある人でないと理解できないから、コメント欄見てる限り、そもそも理解できない人が多そうですね。
-
言動( 1件 )
- ・スーツさん、前回と顔も言動も全く違う。とにかく症状が改善に向かってそうでよかった。
-
症状( 1件 )
- ・スーツさん、前回と顔も言動も全く違う。とにかく症状が改善に向かってそうでよかった。
-
芸大( 1件 )
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
-
信仰( 1件 )
- ・人文社会宗教とかの本質の話しでしたね。でもこんなん見たら表現物に信仰を持てない人間は虚無に堕ちるかも。迷惑な番組ですね
-
に立ち向かってきた( 1件 )
- ・村上隆は本当に良く分かってる。哲学や現実に真剣に立ち向かってきた人間 おっしゃる通りで、スーツみたいな人間は芸大によくいる
-
ワイン( 1件 )
- ・ワイン貰えないから🤭
-
京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏( 1件 )
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
-
財津、小宮、海堂( 1件 )
- ・京都大学特定准教授の文芸批評家 浜崎洋介氏が、ひゃくえむ。の 映画評論のYouTube動画出してます。 ひゃくえむ。の財津、小宮、海堂。 スーツ氏、ひゃくえむ。 見てほしい。 狂気な人間ってこういうこと。
-
旅系YouTube( 1件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
-
ぼー( 1件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
-
世相( 1件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
-
モーリーロバートソン( 1件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
-
ナッシュ( 1件 )
- ・ステハゲのコメ欄にナッシュの食いすぎでスーツが狂ったって本気で心配してるコメあって不謹慎だけど爆笑しちゃったw今回はだいぶ戻っててよかったわ
-
全ての目標( 1件 )
- ・全ての目標を達成し、欲の少ない人が行き着くところなのかな 人生は無意味で死ぬまで暇つぶし
-
石丸さんと林さん( 1件 )
- ・人間エネルギーカード、箕輪さんたしか都議選か参院選の前あたりに石丸さんと林さんに渡してたような😅
-
ビーン( 1件 )
- ・旅系YouTubeがぼーんとなって芸術家がビーンってなる世相をふう〜んと放送する高橋さん。 村上隆さんとモーリーロバートソンが話ししてるのをリハックで見てみたいです。
-
真理( 1件 )
- ・インターステラー推してるの一周回ってめっちゃ普通で、意外と普通に良いものを普通に良いって言うんだなってがっかりというか、逆にそれが真理なのかというか、
-
一周( 1件 )
- ・インターステラー推してるの一周回ってめっちゃ普通で、意外と普通に良いものを普通に良いって言うんだなってがっかりというか、逆にそれが真理なのかというか、
-
想像( 1件 )
- ・天気操りおじさんはどんな修羅場を超えてきたのか想像もつかない
-
どんな修羅場( 1件 )
- ・天気操りおじさんはどんな修羅場を超えてきたのか想像もつかない
-
金剛薩埵( 1件 )
- ・スーツさんの最後のコメント、金剛薩埵じゃん。来たねー。
-
クソ( 1件 )
- ・コメ欄で悟りについてクソ長い論文みたいななあげてる奴いてこの界隈怖いと思った…
-
2時間30分( 1件 )
- ・おもしろいが2時間30分続けては見れないwww
-
この界隈( 1件 )
- ・コメ欄で悟りについてクソ長い論文みたいななあげてる奴いてこの界隈怖いと思った…
-
一流の人( 1件 )
- ・村上さんありがとう 本当一流の人は違う!優しい❤
-
論文( 1件 )
- ・コメ欄で悟りについてクソ長い論文みたいななあげてる奴いてこの界隈怖いと思った…
-
感性論( 1件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
-
笑)( 1件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
-
病気( 1件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
-
注意( 1件 )
- ・今回は、広い意味で「感性論」でしたね(笑) 非認知的な人間の能力や性質について考えることは重要です。 これを安易に病気と接続するのは注意が必要。村上は、そういう薄っぺらな意味では言ってない。
-
解脱から1番遠い存在( 1件 )
- ・村上氏が、解脱から1番遠い存在に見えたのは私だけか?
-
つもり( 1件 )
- ・@M.H-p3uそう。良い悪いではなく、完全に解脱した人と、解脱したいが現世に未練がある人と、解脱したつもりになっている人の対談に見えました。
-
装った( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
一般社会( 1件 )
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
-
技術( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
ずっと貧しいか( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
初孫( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
してるの( 1件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
-
ななまがりの初瀬さん( 1件 )
- ・ななまがりの初瀬さんじゃん
-
手品師の役割( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
村上隆これ( 1件 )
- ・村上隆これが通常運転なの?
-
差別対象のアジア人( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
二択( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
通常運転( 1件 )
- ・村上隆これが通常運転なの?
-
それぞれの役割( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
あんな( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
面白い( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
エックハルト・トールやラマナ・マハルシ( 1件 )
- ・スーツ氏の言いたいことを理解したい人はエックハルト・トールやラマナ・マハルシで検索するのがオススメ
-
カメラの後ろ( 1件 )
- ・くすり取り行く時 カメラの後ろ通ったぞ。 戻ってきそうだ!笑
-
自分の尺度( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
プロダクツ( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
医学のおかげ( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
成功者( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
節操( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
笑い方( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
名誉欲も創作の源泉( 1件 )
- ・僕もです笑 芸術家は悟らなくてもいいし、論理的じゃなくてもいいし、名誉欲も創作の源泉になるので、悪いことではないかもしれませんけど
-
会!キャスティングの妙味( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
発言権( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
資本主義社会( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
節穴( 1件 )
- ・「スーツが元気そうでよかった」と初孫を可愛がるが如しのコメント欄。 村上隆が相対的に発言権を握って変な挙動してるだけでスーツが普通に見える目は節穴だなぁぁ 医学のおかげとか、自分の尺度をあてがうのだけは節操がない。 俺はまだスーツが悟り説。
-
きっかけ( 1件 )
- ・天才を解るきっかけは、感情をみないと平凡は理解してできないのかもね
-
25:50ここ好き笑( 1件 )
- ・25:50ここ好き笑 27:28〜28:55ここマジ草 29:59もう最高で草 43:14ちょっと悲しそう(泣)
-
4197( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
両者( 1件 )
- ・聖者:スーツ 芸術家:村上隆 優秀なビジネスマン(俗人):箕輪 芸術家が両者を橋渡しできるけど、「ピン」しか言わない笑笑
-
ホームレスの人( 1件 )
- ・ホームレスの人がめちゃくちゃ愉しそうに笑ってて嬉しくなりました😊✨ これから寒くなりますが、生きていてください‼️
-
スゴク( 1件 )
- ・ひろゆき(話法)氏がいなくてスゴク良い…
-
知的レベル( 1件 )
- ・スーツさんはadhdとゆうより、 知的レベルが高い自閉症と思います。 心配いらないと思いますよ。
-
楽しみ( 1件 )
- ・おもしろかったです!続きが楽しみ。
-
息子( 1件 )
- ・ステハゲ「馬鹿な息子をそれでも愛そう」
-
同郷( 1件 )
- ・この2人、同郷ですよ。 板橋区
-
ひろゆき(話法)氏( 1件 )
- ・ひろゆき(話法)氏がいなくてスゴク良い…
-
コイツら( 1件 )
- ・高橋さんからめて話さないと、コイツら何言ってるか分からん😂 あと、箕輪さん…女々しい。 あと、なんでもかんでもフィクションと宗教いっしょにしすぎ。 あと、考えすぎだろ😂
-
プロ手品師( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
奥さんや子供( 1件 )
- ・箕輪は奥さんや子供を大事にした方がいいと思うよ😊。 相手?がいけちゃんか別の人かは知らないけど。
-
演説( 1件 )
- ・酒の入った村上氏&箕輪氏といまのスーツ氏との組み合わせは悪手だろ。そっとしといてやれよ。身勝手な演説がしたいなら1人でやってくれ。
-
お酒( 1件 )
- ・え、スーツさんがお酒飲んでる…???
-
複数の自分( 1件 )
- ・スーツさんが回復の途中で良かった 誰にでも複数の自分は脳に存在すると思います
-
adhd( 1件 )
- ・スーツさんはadhdとゆうより、 知的レベルが高い自閉症と思います。 心配いらないと思いますよ。
-
続き( 1件 )
- ・おもしろかったです!続きが楽しみ。
-
彼の元来の合理主義と論理性( 1件 )
- ・僕も感心します 彼の元来の合理主義と論理性が調和を早めたかもしれないですよね
-
3人が( 1件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
-
1人( 1件 )
- ・酒の入った村上氏&箕輪氏といまのスーツ氏との組み合わせは悪手だろ。そっとしといてやれよ。身勝手な演説がしたいなら1人でやってくれ。
-
パトロン( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
板橋区( 1件 )
- ・この2人、同郷ですよ。 板橋区
-
前回の多動ぶり( 1件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
-
この辺りの学生運動ちょい下世代ガチ( 1件 )
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
-
そんな人( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
真ん中の人( 1件 )
- ・真ん中の人は生理的に無理
-
未練( 1件 )
- ・@M.H-p3uそう。良い悪いではなく、完全に解脱した人と、解脱したいが現世に未練がある人と、解脱したつもりになっている人の対談に見えました。
-
肩透かし( 1件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
-
サイコー!( 1件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
-
条件( 1件 )
- ・@tanakatanaka4197いやー正直わかんないよ 芸術家が作品を作り続ける条件って、これまでパトロンかずっと貧しいかの二択だったわけじゃん 資本主義社会が成立してからは、そこでどう芸術を続けるかが新たに問題になる。村上隆が日本の立ち位置や資本主義自体に対してメタ的な作品を作ってることを否定し切ることはできない
-
草 43:14( 1件 )
- ・25:50ここ好き笑 27:28〜28:55ここマジ草 29:59もう最高で草 43:14ちょっと悲しそう(泣)
-
フィクションと宗教いっしょ( 1件 )
- ・高橋さんからめて話さないと、コイツら何言ってるか分からん😂 あと、箕輪さん…女々しい。 あと、なんでもかんでもフィクションと宗教いっしょにしすぎ。 あと、考えすぎだろ😂
-
苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、( 1件 )
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
-
期間( 1件 )
- ・スーツがいわゆる悟ったのは事実だろうけど悟りハイみたいな期間が終わって現実社会との調和がうまくいってる気がする 悟りの視点を持ちながら一般社会で暮らすのは仏教の終着点みたいなもんだからすごい
-
平凡( 1件 )
- ・天才を解るきっかけは、感情をみないと平凡は理解してできないのかもね
-
自閉症( 1件 )
- ・スーツさんはadhdとゆうより、 知的レベルが高い自閉症と思います。 心配いらないと思いますよ。
-
ピン( 1件 )
- ・聖者:スーツ 芸術家:村上隆 優秀なビジネスマン(俗人):箕輪 芸術家が両者を橋渡しできるけど、「ピン」しか言わない笑笑
-
なんでもかん( 1件 )
- ・高橋さんからめて話さないと、コイツら何言ってるか分からん😂 あと、箕輪さん…女々しい。 あと、なんでもかんでもフィクションと宗教いっしょにしすぎ。 あと、考えすぎだろ😂
-
ほんと(褒め言葉だけど)下品( 1件 )
- ・村上隆氏はほんと(褒め言葉だけど)下品だなー。 世に名を馳せた芸術家には過去にもそんな人もいるけど、彼は技術なく成功したからより際立っている。 更に差別対象のアジア人として世界で成功するには、そりゃああんな笑い方を修得するだろう。 成功者として尊敬する。 ただ、彼の作り出すものは芸術ではなく工業的なプロダクツだと思う
-
27:28〜28:( 1件 )
- ・25:50ここ好き笑 27:28〜28:55ここマジ草 29:59もう最高で草 43:14ちょっと悲しそう(泣)
-
M.H-p3u( 1件 )
- ・@M.H-p3uそう。良い悪いではなく、完全に解脱した人と、解脱したいが現世に未練がある人と、解脱したつもりになっている人の対談に見えました。
-
手品のタネ( 1件 )
- ・村上さんがプロ手品師なら、箕輪さんはプロの手品の解説員、または、手の解説の上手い人。スーツさんは手品のタネを聞いてしまう一般人。高橋さんは一般人を装った手品師の役割なのかな。 それぞれの役割が明確にある面白い会!キャスティングの妙味!
-
そのコーチング( 1件 )
- ・そもそもそのコーチングを輸入した苫米地(ベッチー)、村上隆、岡田斗司夫、この辺りの学生運動ちょい下世代ガチで面白い人間しかいない
-
第一声( 1件 )
- ・第一声「僕がヤバいかやばくないのかみんな分からないですよね?僕もわからないですから」で吹いた笑
-
天才( 1件 )
- ・天才を解るきっかけは、感情をみないと平凡は理解してできないのかもね
-
この2人( 1件 )
- ・この2人、同郷ですよ。 板橋区
-
会話👏👏👏👏👏( 1件 )
- ・物凄く面白い会話👏👏👏👏👏 この3人が分かり合っているのがサイコー! 高橋さん蚊帳の外ですが😂 スーツさんは次元が一つ上がった感じ🤩 村上さんが「人間エネルギーカード」の話で興奮してるのもめっちゃ面白いです🤣
-
聖者:スーツ 芸術家:村上隆( 1件 )
- ・聖者:スーツ 芸術家:村上隆 優秀なビジネスマン(俗人):箕輪 芸術家が両者を橋渡しできるけど、「ピン」しか言わない笑笑
-
村上氏&箕輪氏といまのスーツ氏との組み合わせ( 1件 )
- ・酒の入った村上氏&箕輪氏といまのスーツ氏との組み合わせは悪手だろ。そっとしといてやれよ。身勝手な演説がしたいなら1人でやってくれ。
-
正気( 1件 )
- ・スーツさんが完全に正気に戻っていて、戻った上で悟りを開いた頃の自分を面白がっているように見えた。村上隆さんからすると狂気が足りなくて肩透かしだったかもしれないが、前回の多動ぶりに不安を覚えた人たちは安心したのではないだろうか。
-
この数年のコンテンツ( 1件 )
- ・この数年のコンテンツで1番面白かった
- 2025/10/27 15:21:39の集計結果
過去の集計結果を見る
過去の集計結果を見る
